2009年1月13日火曜日


(写真:ミニ・ヤンセン試作機1)

試作,打合,試作,打合
ダイブ組み立てやすい設計にはなってきた。
形もそれっぽくなってきた...が、
動かん...。
ゼンマイのトルクに対しボデー剛性が
オーバースペックなのとリンクの組み合わせ
がまだ不十分なのがおそらくの原因。
紙を薄くするのがいいのだろうか...
もう少し試作を続けよう。
クランクへの取り付けは今年一番の良い仕事
をしたと自負している。
ここ数日打ち合わせがいくつか入っていた。
そんななか感じたが「言葉」は難しい...
自分の言いたい事や伝えたい事が100%
伝わっていないことがわかっていても
どうにも出来ない。自分のなかでは道理が
行っているわけでなぜ伝わらないのかが
わからず。おそらく話のうまい人は様々
な道筋をたていろいろな方向から話しの
輪郭を構成してゆくのだろうが、どうも
私はそれが出来ない。日本語というか
「言葉」はムズイ。
特に自分の作品に対しそれは顕著で
自分もとりあえずそれを作ってみて
出来上がった後に考察をするという方法を
取っているので正直わからないところが
多い。しかしながら考察を重ねるとその
出来上がったものから自分のことが私以上に
表される事が多々ありなんだか自分とは一体
何なのかと考えさせられる事もしばしば。
一体自分が何を考え、どういう事をしようと
しているのか必ずしも自覚しているわけでは
ないのだとなると一体「私」を動かしている
ものは何なのかと夜も眠れないわけである。
とはいえ作品のテーマだとかコンセプツだとか
「そんなの後付けでしょ」なんていわれたら
「そうかも知れません..」と言うしか無いが
言葉だけで事足りるならばわざわざ無駄な
労力を使って何かを作る必要は無いわけだし
脳内でくすぶっている早く物体になりたい
奴らを私の眼前に具現化しないと布団にコーラ
をぶちまけて一週間寝起きするようで
気持ちが悪い。日常生活のなか、早く物体に
なりたい奴らは頭の片隅にうにゃうにゃと
こびりついてきてスキあらば私を働かせようと
してきて本当に気でも違ってしまったの
ではないかと思われる時もありこんな不便な
性格はナントカしなければと思うのである。
とにかく未完の作品が結構あるのでそいつらを
この世に出したいとおもった。自分でもよく分からない
のにそれを他人に伝えようなんてのは
おこがましい話しでまず自分というものを
なんとかしたいと珍しく一念発起してみる。

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