2009年6月10日水曜日

出張終了。
久しぶりの外の空気はこたえる。
ここ数日随分と在宅ワークなせいもあってか
身体がギシギシ言っているような..
単純に栄養不足かもしれない。
現に名古屋No.1中華スポッツにて
夕飯を食べたらすこぶる調子が良くなった。
そしてココの名物「台湾ラーメン」に
アメリカンなる種類があったことが判明。
辛さマイルド!と書いてあったが確かに。
口のまわりは痛くならなかった。知らなんだ。
先日鈴商のおじさんに言われて気がついたが
6.8で秋葉原の事件から一年。
そしてこの事件に関してあれだけの惨劇にも
関わらず風化が著しいとも聞き私もどきっとした。
この事件について引っかかっていることは
昔から自身が感じている不安と近い部分がある。
一応社会というものは内心どうあれ生きていくための
ルールに基づいていてこれはこういうものだから
しょうがないとか、間違っている気もするけど
みんな従っているからいいかみたいなところで
暗黙のうちに成り立っている部分がある。
特に人が人を傷つけてはならないという
ルールは以前も書いた気がするが俺はお前を
傷つけない、だから俺のことも傷つけてくれるな
という双方の倫理のもとに成り立っている。
もちろんそれは「法律」という防衛線に強化され
もし他人の領域を犯すなら大変なことになるぞという
抑止がなされるわけだがそんなの関係ない、大変な
ことになりたい輩にはそのようなルールは通用
しないわけでここのグレーな部分に多分子供の頃から
不安を持っている。戦争ともなるとそのような
ルールは一切無視され新しいルールを作り出してしまう
もしくは何かしらの大義の前にはそのような約束事は
無力なわけでそういった理不尽なことは考えるだけで
気が狂いそうになってきた。
この秋葉原の事件はたったひとりのデストルドーにより
これほどの事態が起きるということ、そしてこの恐怖は
すぐにでも我が身の回りで起きる可能性は十分にある
というところでずっと引っかかっている。
犠牲者の方々のご冥福を祈らずにはいられない。
そして絶対にこれを風化させてはならない。
なぜならこの不安の抑止力となるのは最終的には個人の心構えしか
無いのではないか。残念ながらいつ不測の事態が起きても
対処できるだけの心構えをもつしかない。
法律という「ルール」はマルチハザード社会においてはがゆくも
あまりに無力だ。

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