2009年10月31日土曜日


(パーチーインマイルーム)

スロベニアとクロアチアに出張してきた。
きっとこんな事でもないと一生行く事のない
所だろう。
今までいった欧米とはどことなく違う印象。
街の節々に”UNION”というワードや
ロシアアヴァンギャルド的なグラフィティ
が配備されていて不思議な気分であった。
外国に行くといつも思うのは宗教や思想
といったその国のバックグラウンドに
裏打ちされた一体感のようなもの。
底の部分で宗教や思想で繋がっているという
一体感があるからこそ安心して自由を謳歌すること
ができるのだと思う。
日本という国はそのあたりが非常に希薄で
一応仏教とか神道をベースにしているがそれほどの信仰心
もなく一見自由に見えて周りとの協調を考え過ぎ
逆に不自由極まりなくなっているのではと思う。
人間というものは結局のところ完全に一人では
生きられないのでどこかで他人と繋がっていないと
安心できない生き物である。
宗教や確固たる思想がある(あった)国は強いな
と思った。
私の考えるところのアートに関しても似たような
ところがあってそういうところに順応できない人や
ずれた感覚を持っている人は何かそういった信じる
ものや自分が身を預ける場所を作らなければならない。
そうやってアイデンティティを具現化したものが
俗にいうアート作品で(自分の中で)どんなものであっても
そういうもんだと認識することになっている。
やっぱり毎度の事ながら思うのは「メディアアート」
というものは技術や目先の面白さにとらわれすぎてるのでは、
と思う次第で「アート」というからにはその先の作家の
言いたい事が必要だと思う。作品の見栄え、完成度以前の
なにがしかのクオリティが絶対にあるはずだ。
オーディエンスはきっとそれが見たいはず。(多分..)
日本人がメディアアートを好きな理由はそういった
バックグラウンドの無さが原因なのかもと今回の渡航で
やんわり感じた。

という事をふまえ、たまった仕事と次の作品に取りかかる。
もうすぐ十和田。急げ、KIMURA。

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