2010年12月15日水曜日



「メカ屋の仕事」



いよいよ吐く息も白くなってきて福生の厳しい冬に備えて灯油でも買いにいこうか
という時期の到来である。しかしながらここ一週間ほどほとんど工場にこもりっき
りで新しい作品の制作に取りかかっている状態で外界の季節の変化などおかまいな
しに鉄を切ったり削ったりしている。
ここのクランクの構造は20世紀的な造形だろう。はたまたこのリンクの使い方はど
うだ、かつてこのようなマシン要素があっただろうか、などとぶつぶつ言いながら
空想の中に身を落としてゆく。
久しぶりにハードなマシンを制作していて10年目にしてようやく作業のコツをつか
んだというか、自分にぴったりの制作手順を見つけた気がしてうきうきとして作業
をこなしているのである。おかげで一つ一つのパーツ制作にすっかりチャームされ
てしまい飯を食うのも庭木に水をやるのも忘れてこれらの制作に没頭しているのだ。
本当はこのような文章を書くことさえ憚れる所であるがこの体験を忘れないために
一応記しておくことにした。


その作業の方法というのはなんて事は無い、設計に行き詰まったらスケッチを描き
細かな寸法や角度など気にせずあくまで感じのいい具合に細かく各部分を描いて頭
の中で整理するという作業である。頭の中でしっかりとイメージが決まっていれば
そこから寸法を割り出す事は割り箸を割るように容易く、あとは
パーソナルコンピューターという計算機で計算すれば良いだけのことである。
頭の中のイメージというものは非常に良くできていて微妙な誤差や形の乱れを「な
んだか変だ。」という感覚で自分に教えてくれる。ただしその中は海のように広く
空のように高く大地のようにどこまでも続いていて「どこが変だ?」という事を探
りあてるにはあまりにも広い。そんなときはスケッチの出番でなんだかわからない
ずれをなんだかわからないまま紙の上にのせてゆく。形の狂いやパースペクティブ
の崩れなどは気にせずとにかく描き起こす事が重要で出来上がった不格好なスケッ
チには様々な情報が隠されている。おそらく脳の無意識層に沈殿したヘドロみたい
な蓄積物をショベルカーのようなもので拾い上げ、膨大なヘドロをこし器にかけて
幾ばくかの金の粒を探るようなそういった作業と思う。




21世紀になった現代は合理主義であるから、こんなに紙やインクを消費し人生の尊
い時間を割いてスケッチを描くなど善悪で言ったら悪で、無駄でいて愚かな行為と
も思われるだろう。コンピューターでイメージをドロウしてはそのまま寸法を計算
し、三次元の図面を起こして3Dプリンタを使えばポンと物体は出来上がる。材料の
切り出しはレーザーカットで行い、加工の難しい部分はどこか専門の工場や業者に
発注し、制作者の仕事としてはアイデアを出し資金を集めユニークな企画を実現す
る事である。それが私たちがいる21世紀だ。
余った時間でコーヒーをたしなみ、英会話を習い、週末には気心の知れた仲間とわ
いわい交流する、はたまた大事な恋人と最高の夜を過ごすも良い。

人は私の事を馬鹿なメカ屋だと言うだろう。なんら生産性をもたないお前は、現代
社会においては生きている価値の無い野良犬や雑魚みたいなものだ。それならばせ
めて動物園のパンダのように人の目を楽しませたりショウビジネスの一端を担った
りしたほうが遥かに役に立つと同世代のハイセンスたちは声を大にして言うことだ
ろう。それならば私は社会に向けて、個人の権利において、パーソナルファブリ
ケーションを提唱し作家としての特別な権利を、アーチストとして自分の作品をこ
れこそユニークというものであり、あの手この手の様々な方法で世間の前でプレゼ
ンテーションを行い飯を食う為の日銭を稼ぐのだろう。

作家の純粋な情熱はきれいなデザインやまやかしの論理で語れるほど容易くはな
い。先日参加した、アメリカ生まれのDIY雑誌、「Make: Japan」誌のイベントで
感じた事と併せて考えてみたい。
このイベントは、Make; meeting と呼ばれ、同誌の主催する読者の為の研究発表、
成果発表の場で、
プロやアマチュアを問わず各自研究する分野の成果を営利、非
営利問わず自由に発表することができる作家にとって半年に一度の大舞台である。
自作アンプや手芸、スチームエンヂンやテスラコイルまでありとあらゆる作品が
一同に集まり「作りたいから作った」という素敵な作品群を二日間、オーディエ
ンスに向けて発表する「Make:」という名にふさわしいイベントである。

このイベントの一番に面白いところは作家と作品の「ドラマ」を垣間見ることがで
きるところである。特に営利をあくなく追求しないものづくりは、目的と言えばた
だ単純なる情熱の追求でしかなく、本当に純粋な作家と作品、それだけで彩られた
恋人たちの様な小宇宙を私のような者にもみせてくれるのである。
情熱を注げば注ぐほど作品はきらびやかに輝き、私の眼にはとてもまぶしくて、作
家の情熱だけを受けた、出来上がった作品を前にして私の眼には熱いものが流れ
る。本来こういった物たちは競争や損得を超越し、見る者の感情のトグルスイッチ
をぱちんと入れる力を持っているようで、私のような作品を売って日銭を稼ぐよう
なちんけな者には到底及ばない純粋な美学がそこには存在している。
その純粋な、宝石のように光り輝く情熱を前にして、培った常識や概念などはいと
も簡単に崩れ去り、素敵な作品を前にして私の眼には、胸には、ただただ熱い物が
こみ上げてしまうのである。

21世紀もいくらかたって現代ではもの作りに対する性質が前時代のそれとはいくら
か違って来たように感じる。正直私のこの小便のような、鼻紙にするくらいしか役
に立たないような雑文で世の中に何かを提唱できるとは思わない。
時代はおそろしいほどのスピードで加速しメカ屋や発明屋の領域(テリトリー)は
狭く届かないものになってゆくのだろうか。強大な資本、莫大な人海戦術を前にし
てなんだか素敵な作品達はただのひとときの退屈しのぎといった扱いになってしま
うのだろうか。

この文章は、あの時代は良かった、生きる時代がもっと早ければ自分の発明は、自
分の作品は脚光を浴びただろうなどと懐古する為のものでなければ自分の活動を個
性絶対として社会へ正当化しようと少ない脳みそを搾りに搾ったものでもない。最
も若い心を持ち、日々の制作に楽しく、純粋に、常に自分の作品への衝動に忠実に
いようとしている友人たちへの贈り物にしたいためだけのものである。


「ものづくり」というものは新たに脚光を浴びなければならない気がしている。
メーカーとユーザーの距離が離れてしまっている社会だからこそ、修理の出来ない
ハイテク製品を消費する現代だからこそ、
ものづくりのあり方を問いただす時期が来ているのだと、私は感じている。


最後に、このような稚拙な文章を最後まで読んでいただいた読者の皆様、そしてい
くつかの表現を無断で拝借させていただいた今和次郎先生へ改めてお礼を申し上げ
ます。


2010.12.10 KIMURA



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